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minikoののほほん生活♪

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子宮筋腫(緊急入院その1)

保険が効いても、注射1本の代金が高いリュープリン。
(私は本人負担なんで(当時(2002年)の医療費で)1万円はしなかった)
半年経っていたのでリュープリンを9月の終わりにまた始めた。
「どうしますか?また、やってみますか?」って先生に確認の質問をされたんだけど。
出血と生理痛が、またしばらくなくなることを考えれば・・・と、思って
再びリュープリンの治療をしていたんだけど、今にして思えば、この時点で他の婦人科に
セカンドオピニオンへ行っていれば~って思いましたが、後悔しても遅い!(ですね)

2002年9月、1回目のリュープリン終了。
しばらくすると、また出血が出た。前回は、それで慌てて病院へ行ったら先生に
「最初は出血するって渡した説明書に書いてあったでしょ?もう少ししたら
止まるから
大丈夫」と、言われた。今回もそうだと思って病院に行かなかった。
それからまったく出血がナイ・・・って日はあまりなかったんだけど、量はそんなに
多くなかったから大丈夫だと思ってた。

次の4週間後の10月後半、2回目のリュープリン。
それからだんだんと少しずつ私の体調がおかしくなってきた。
注射をしてから1週間は、仕事もまあ普通にこなしてた。
でも、トイレに行くと出るわ出るわ~!出血が。
2回目で完全に止まると思っていた(不正)出血が、なかなか止まらないのだ。

11月最初の土曜日、かかりつけの病院に行こうと思ってた。
しかし、よりによって行こうと思った時に激しい出血が始まって~連休前なのに、
病院に行くことができなかった。
実際にその日辺りから貧血の症状が出てきていた。
出血は、いつもよりも激しいレバー状の固まりでトイレに行くたびに「ドバー!」
って感じで出た。あの時の恐かった感覚は今でも忘れない。
連休最終日、激しい出血がときどき襲ってくる。
手を見ると血の気がなくて肌が真っ白・・・こんな状態は初めてだった。
これはちょっとおかしい!
連休明けの翌日は、いい加減病院に行こうと思った。
本当にふらふらで自分の体にも限界がきていた。

11月の連休明けの朝、ふらふらになりながらもかかりつけの病院へ向かう。
病院への道はとっても長かった。
病院に着き、受付を済ませて待ち合い室の椅子に座ってしばらくすると・・・
もう体力の限界だったのだろう、目がぐるぐると回ってきた。
受付で「すみません・・・ちょっと気分が悪くて~」と言ったか言わないかのうちに
私はその場で倒れていた。
外来担当の看護師さんが来て診察室のベットに運ばれ、血圧、脈をチェックし、これまでの
症状を話した。先生が「とりあえず、点滴をしましょう」と言うので、点滴部屋へ
移動し、ときどき受けていたいつもの点滴を1本受ける。
点滴が終わって、すこし楽になった・・・と思った。
ゆっくりと起き上がって帰ろうと思い会計を済ませた。
と、その直後また頭がぐらぐらしてきた。
「やっぱり気分が悪いです・・・」と言ってるそばからまた倒れた!(2回目)
もう私に再び起き上がろうって気力はなかった。
今度は病院の2階にいた助産婦さん達が来て、私の体にタオルケットを敷いて5、6人
がかりでしょうか?私を妊婦さん達が入院している2階の病室まで運び込んだ。

その後、先生の判断でもうこれ以上、体を動かせないということで私はそのまま入院となった。
まったく予期していないことだったので、病院着に着替え再び点滴(たぶん止血剤?
だと思う)、絶対安静ということで看護師さん達に尿管を入れられた(痛かった~(涙))

ピコには先生より説明があり「ちょっと貧血と出血がひどいから入院してもらって
様子を見ましょう。絶対安静ですよ」
しかし安静にしていても、出血はまったく止まらない。
生理用ナプキン(夜用)では、これ以上どうしようもないということで看護師さんが
「本当は妊婦さん用なんだけど・・・」と言いながらも「お産用パット」(Lサイズ)を
持ってきてくれた。(あとで入院費と精算だった)
妊婦さんじゃないのにお産用パットか・・・と、思ったけどレバー状の固まりがまったく
止まらなかったんだからしょうがないか。
助産婦さんたちに、激しい出血(固まり)が付いたパットをときどき替えてもらいながら
初めての入院生活が始まろうとしていた。


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